SMNでならやりたい仕事ができると思えた
1社目の広告代理店ではインターネット広告営業を担当しており、今の自分でも驚くくらいハードワークをしていました。幼少期から「強さ」に対して憧れがあり、空手や野球、弓道、キックボクシングと色々なスポーツに取り組み、社会人になってからも強くたくましくありたいなと考えていて。なので、社会人のスタートはあえて厳しい環境に身を置くことを選びました。ただ、1年くらいたったあとふと成長が止まったなと感じたときがあったんです。
そこで知り合いを通じて紹介された2社目に移りました。自動車関連の事業を展開する会社というこれまでとは全く違う業界でしたが、IT業界出身という理由でWEBディレクターを任されました。ディレクション業務などやったこともなかったのですが、当時の上長や先輩社員にも助けられながら、約7年色々な仕事を経験させてもらいました。HPの制作・運営をはじめ、社内の管理システムの導入推進、UI・UXの改善業務、その他事業企画や採用業務など本当に色々やりましたね。業務自体に不満はなかったのですが、当時お世話になっていた上長が退職をすることになったんです。そのタイミングで自分自身のキャリアを改めて見つめ直したところ、またインターネット広告に携わる仕事がしたいと思いました。そんなとき、SMNに転職した1社目の同期とたまたま食事をする機会があって。最初は同期と同じ会社ということに照れくささがあり、SMNへの誘いは断ったのですが、その後に同期の上司も交えての食事会で改めて会社や事業の紹介をしていただき、広告業界でやりたい仕事がSMNでならできそうだと感じてジョインする決意を固めました。
九州営業所への転勤
メンバーにも助けられながら
自分のマネジメントスタイルを見つけられた
SMNに入社してから最初の1年は、広告運用業務に携わりました。半年ほどで業務は一通り習得できたので、業務効率化を行うチームも兼務しました。そして、自分の中で広告運用担当としてそれなりに自信がついた頃、九州営業所への異動を打診されました。日常の業務に慣れ、充実した日々を送っていたので、このタイミングで異動するのは悩みました。一方で、当時は九州営業所が獲得していた広告案件のほとんどを首都圏営業部が運用していたことから、自分は九州事業所で営業担当と連携し、迅速にそれぞれの案件に対応できる存在になることを期待されているのだとも感じました。結果、上司や周囲からの期待に応えるべく、九州営業所への異動を決断しました。
実際に赴任して、九州営業所では広告運用担当として社内の営業担当はもちろん、現地のお客様や、同業の方々と実りあるやり取りをたくさんさせていただけました。首都圏にとどまっていたら、できない経験だったと思います。丸3年赴任して、元々は広告運用担当でしたが、営業担当も兼任したし、最終的には所長としての役割も担わせていただたきました。貴重な経験を与えてくれた会社や上司には、本当に感謝しています。
自分自身の視座を高め
育成にも積極的に携わり
互いを高めあえる一枚岩のチームを作り上げる
九州営業所での3年間を経て、今は首都圏営業部で課長をしております。
九州営業所の頃は、所長になりたてで、メンバーをどうにか盛り立てないとという焦りから、気持ちが空回りしていたと思うんです。日々真剣に考えているだけなのですが、そのピリピリとした空気が周りに伝わって、営業所の空気が悪くなってしまった時期もありました。どうにかその空気を払拭したくても、メンバーにかけるべき言葉が見つけられず、苦労しましたね。毎日たわいない会話をするように心掛けたり、使う言葉を選んだりしながら、メンバーにも助けられてばかりでした。
首都圏営業部に異動してからは、自分の下に就いてくれているメンバー九州営業所の頃から3倍以上になりました。そのため、これまでよりも視座を高めていく必要があると感じています。これまでのメンバーを個別に細かくケアしていくという方法では対応しきれないと感じています。そのため、私の方向性や課題感を下のメンバーにまで伝えてくれる次世代のマネージャーを育成し、協力して一枚岩となるチーム作りをしていきたいと考えています。SMNは、新入社員も中途社員も、それぞれバックグラウンドや考えていることが多様です。その多様性を生かしていきながら、時にはぶつかり合い、時には互いを認め合いしながら、楽しく最高の結果を出せる場所を作っていきたいと今は思っています。